学校法人恵愛学園 認定こども園 北広島かおり幼稚園

Diary

園長ブログ

みんなが仲良く暮らせるように

2019.11.15

 「みんなが仲良く暮らせるようにならないものでしょうか?」とニュースキャスターが言われていました。当園のクリスマスペイジェントにも「みんな仲良く暮らせるようにならないかなあ」というセリフを開園当初から使っていました。
 教育や人命救助の現場で行われているいじめの報道。耳を疑ってしまいます。いじめをしてはいけない!と教えなければならない大人たちが行っているいじめ。聖書には「自分の敵を愛しなさい」「隣人を自分と同じように愛しなさい」とあります。自分の敵とまで言わなくても意地悪されたり、嫌なことをされたら、同じくらいのことを仕返ししたいと思いますが、意地悪されたら親切でお返ししなさいと説きます。自分ができているか?と言われたら、難しい所です。大人の背中を見て育つ子どもたち。すべての人を自分と同じように愛することはできませんが、害を与えたり、傷つけることをお互いに避ける努力をしていけば、いじめは少なくなるのではないかと思うのですが…子どもたちにいじめるなという前に大人たちがまず自分の周りの方々と良い関係を結んでいく努力をしなければならないですね。自分の反省も含め、皆さんが仲良く暮らせるように!切に願いつつ、努力します。

出会いに感謝

2019.11.5

 先日、北光幼稚園の創立100周年記念礼拝、記念講演に出席させていただきました。記念講演の講師は私が元北星学園幼稚園教諭保母養成所でお世話になった担任でした。(今から40年前です。)懐かしくお会いし、まだまだお元気なお姿に励まされる思いでした。ご自身の研究を探求し、今も現役で研究されているお姿はとても刺激になりました。そして、今現在同業者であり、やはり担任をしていただいた友と一緒に講演前にあいさつに行きましたが、今も幼稚園教諭として立っていることを伝えられたことがとても誇りに感じました。そして、一番感謝なことは、保育者、教諭となって35年以上たちますが、その原点で出会った方にお会いできたこと。そして、一人でここまで来たとは思っていませんが具体的に、自分の今現在の土台、根っこのところで支えられていたことを再確認させられ、感謝が溢れました。今豊かに祝福されていることは、もうずっと前から計画されていたことで、偶然ではなく、導かれていたんだと。出会いの一つ一つが自分を造り、今を生かしていただいているのだと感激しました。
 教諭の仕事をさせていただいている以上、自分自身も相手にとって良い出会いだったと感じてほしいと、更に自分が学びの手を休めてはいけないと襟を正されました。

中学生訪問

2019.10.25

 今日は中学3年生のお兄さん、お姉さんたちが家庭科の授業の中で訪問してくれました。紙芝居や魚釣りなど、手づくりをして何日も丁寧に準備をしてきてくれたことが伝わってきました。グループに分かれて、それぞれがよく関わられるように、考えられていました。園児たちもお兄さん、お姉さんたちととても仲よく喜んで遊んでいました。卒園生たちも何人かいて、その成長ぶりには目を見張るものがありました。子どもたちの成長を見るのはとてもとても嬉しいことです。

 一つ気になったことがありました。それは事前に家庭科の先生と打ち合わせをしていた時のことです。自由な時間があると何をしていいかわからず、不安になる子がいるということでした。園児たちは毎日、許された守られた空間と時間の中で自分の好きなことを自分で選び、気のすむまで遊びこむ。そこには何の縛りもありません。失敗もします。何回もやり直しをします。友達とのトラブルも日常茶飯事です。その中で迷惑をかけてはいけないことや、破ってはならないルールがあることを学んでいきます。そこから、生きていく意欲、好奇心、想像力などが育ち、主体的に生きていけるようになると考えます。せっかく育った芽が枯れてしまわないか心配になります。自由な発想や行動が互いに受け入れられる環境を自分自身が作っていくこと。少数、多数に関わらずそれぞれの思いが受け止められていく社会になってほしいと願います。

忘れ物

2019.10.18

 よく、忘れ物検査などをして忘れ物をしない意識を高めたり、時間割をなんども確認する習慣を付けたり。保護者が低学年のうちはしっかり見てあげたり。でも、今の忙しい社会においては、保護者の方々も子どもたちの準備に対してままならないところがあるようです。忘れ物をしないことは大事なことですが、幼児期、小学校の低学年のうちの忘れ物は取り返しがつくものです。取り返しがつくうちに何度か、忘れ物やほかの失敗をすること。そしてその失敗をどう乗り越えるか?というを経験して育ってほしいと思います。忘れ物をしたとき、失敗したときの思いは皆さんも経験があると思います。それぞれに感じ方は違いますが、自分が我慢しなければならないことや、周りに迷惑をかけたことへの申し訳なさ、どうやったら取り戻せるか?考えること。失敗には非認知能力をフルに使わなければならない面が多々あります。あえて、忘れ物をする必要はありませんが、子どもたちが自分で準備して、いくつかの不足があった時に全てを周りが整えるのではなく、失敗する経験をすることが大切です。そこから学ぶこと、成長することがたくさんあります。失敗する恥ずかしさを乗り越えながら、人は大きくなります。マニュアルでしか考え、行動できない大人に育てるのではなく、子どもたちには予想外のことが起こった時に目の前にある状況から、打開策をみつけ、進んでいけるよう、クリエイティブに育ってほしいと切に願います。

どっちにする?

2019.6.4

 何かを選ぶときに選べない人がいます。今日着ていく服や、どのケーキを食べるか等を決めるのはそれほど後々に大きな影響はありません。でも、日々の中で、家族の健康に関わる事や、将来に影響する判断もあります。前にも書きましたが、毎日の中での何げない小さな決断が大きな決断をする訓練になります。そして子供は親がどんな判断をしているかを見ながら成長して行きます。でも、今は選択する力量や知恵がないうちに子どもたちに多くのことを選ばせているような気がします。朝、子どもの様子を見て園を休ませるかどうか?子供に聞いて判断する保護者がいると何かで読みました。保護者のかたがたにも今からでも遅くありません。判断には責任が伴いますから、そこを避けたい方々が多数であることはよくわかります。でも、お子さんたちが人生を豊かに生きていくためには様々な多くの判断が必要です。その判断ができるように育てていくには今この幼児期の小さな判断の積み重ねです。そしてそれはまだまだ間違ってもいいのです。間違ったらまた、やり直せばいいのです。保護者が判断するところや間違ってもやり直して前に進むところを見せていくことで、子どもたちも失敗を恐れずに進んでいける子に育っていきます。失敗をしてもまた、そこから違う方法で進んでいけます。どうか大いに間違ってください。そしてやり直すことは恥ずかしくないことをお子さんたちにちゃんと伝えてください。それが家庭の教育力です。応援しています。大事なのは間違えることなく成功することよりも間違えた時にやり直すことができることです。

一期一会?

2019.5.13

 「一期一会」一生に一回限りのこと。生涯にただ一度会うこと。と辞典にあります。
 いつも会っている家族や友達。日常の中では誰ともいつでも会えると思っています。幼稚園で朝出会ったお子さんがそのままの姿で帰せるように祈りつつ、願いつつ保育をしています。でも、不慮の事故はどんなに環境を整備し安全に整えても起こるときには起こります。これだけは絶対におこらないように願いつつ細心の注意をもって保育に当たります。
 今回の大津市の事故で掛け替えのないお子さんをなくされたご家族にとっては信じがたい出来事でした。一生に一度しか会えない方に心を込めて、お茶を差し上げること。これは毎日会える家族や友達にもその思いをもって大切にもてなし、関わっていくことがとても大事ではないかと思わされました。毎回会える方にも、家族にも今できる限りのことをしてあげること。でもそれには限界もあります。そしてできれば失敗したとき、傷つけてしまった時には次回に謝ることができる機会が与えられることを切に切に願います。すべての尊い命が大切に守られますようにと願わずにはいられません。

尊い命

2019.5.10

 大津市においての保育園児の事故で尊い命が失われました。失われた命に対する思いはどんな言葉でも表せないほどの悲しさ、苦しさ、悔しさ、怒り、理不尽な思い…でも当事者であるご家族や保育園関係の方々の思いはいかばかりかと察するに及びません。今はこのような事故が起こるとすぐに責任問題や賠償、再発の防止とどんどん先へ先へと進みます。今回は散歩の自粛の考え。今までにブランコの事故や滑り台の事故があれば、その遊具の撤去等。そうではなくて、今回は運転者の運転意識が問題であり、また、運転するもの全員がいまもう一度、ハンドルを握ることは命に係わる重大な責任を伴うことであることを認識することではないかと思います。私自身、自分の運転を見直し、殺人マシンに乗っていることを自覚して運転することをもっともっと心がけなければならないと再確認しました。けがをしたから、事故を起こしたから、その保育内容を見直したり、遊具を撤去するのではなく、どう遊んだら、安全に遊べるか?小さな失敗、小さなケガをしながら大きな失敗、大きなけがにならない訓練としてこの幼児期を様々な経験をさせることは大切だと考えます。ただ、今回のように取り返しのつかない事故に巻き込まれた時には、どう判断し、慰めの言葉も浮かびません。ただ、ただ、子どもたちの遊びの範囲が狭められないことを願っています。

ご無沙汰しました

2019.4.19

 先日、東京大学の入学式での祝辞がテレビで話題になってました。上野千鶴子名誉教授の祝辞でした。東大の新入生に向かい、
「あなたたちの頑張りをどうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。」
「恵まれた環境と恵まれた能力を恵まれない人たちを助けるために使ってください。」
様々なところで話題にされていましたが、ふと気が付くと、内容は私たちが育てられてくる時に、誰かが、いつもどこかで言ってきたことではないかと思わされました。古き良き日本の教育はお互い様の中でいつも助け、助け合いながらお醤油の貸し借りから始まり、隣近所の様々なかかわりの中で育ってきたと思います。でも、昨今この言葉がこんなに新鮮に、感動的に聞こえるのは、言葉にして伝えなければ伝わらない社会になっているのだなと感じました。子どもたちを育てるうえで、そして人として生きていくうえでとても大切なことであり、誰しもが身につけて成長してほしいと切に願います。
と言う自分もまだまだ人のお役にたてているとは思えませんが、どんな形であっても誰かのためになっていく人生をそれぞれが創造していってほしいと考えています。

春になる

2019.2.21

 学生時代に下宿生活をしている私の友達をよく招いて母はご飯をごちそうしていました。友達が「働くようになったら何かお返ししたいです」と心から感謝の思いを伝えてくれました。でも母の口から出た言葉は「お返しはあなたのそばにいる人たちで困っている人にしてあげれることをしてあげて。」というものでした。
 それを話すとわかってくれる方々もいます。日本人の根底にある考え方なのでしょうか?でも、今は出したお金の分はいただく。それ以上のサービスを期待する。
労力に見合ったものを要求する傾向にあるなあとさみしい感じます。
 目の前の方を助けてあげたお返しは無償でいい。助けられた思いをほかの方々へつなげていくこと。日本人の考え方の良い所として伝えていきたいと思います。

灰色からの手紙

2019.2.6

 “灰色からの手紙”という絵の具のセットを既成のもので済ませるか、あるものと手作りのものでそろえるか?を考えるエッセイが載ってました。私は小学校の習字の道具を思い出しました。私の時代はそんなにセットとして数多く既製品があったわけではありませんがクラスの半分くらいは既製品のセットでした。私は叔父たちが使った硯のお古と家にあったカバン。さすがに筆は買ってもらいました。その中で硯の袋を汚れてもいいように使い古したタオルで袋を母が手作りしてくれていました。もしかすると見た目はみすぼらしく見えたかもしれませんが私にとってはとても嬉しい、母の心使いでした。みんなと一緒じゃなくてもいい。誰かのおさがりでもいい。そこに見た目だけではない思いを認められるようになっていたいと思います。
 今は作るよりも安くて便利なものがあふれています。時間をかけるよりもお金で解決できるほうを選んでしまう空気があるように思えます。その中で、教育、子育てだけは手をかけ、時間をかけることを惜しんではいけないと思います。コンビニですぐに手に入る卵焼き。少し焦げ目のついた不格好なお母さん手作りの卵焼き。心と体が豊かに育つのはどちらでしょう?忙しい時に何度かコンビニ弁当、カップ麺に頼ってもいいと思います。ただ、それを習慣にしないように気を付けたいものです。お母さんの手作り卵焼きは幼児期の心も育てます。

庭しんぶん 第一こどものとも社監修2月号のエッセイの感想です。