学校法人恵愛学園 認定こども園 北広島かおり幼稚園

Diary

園長ブログ

ご無沙汰しました

2019.4.19

 先日、東京大学の入学式での祝辞がテレビで話題になってました。上野千鶴子名誉教授の祝辞でした。東大の新入生に向かい、
「あなたたちの頑張りをどうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。」
「恵まれた環境と恵まれた能力を恵まれない人たちを助けるために使ってください。」
様々なところで話題にされていましたが、ふと気が付くと、内容は私たちが育てられてくる時に、誰かが、いつもどこかで言ってきたことではないかと思わされました。古き良き日本の教育はお互い様の中でいつも助け、助け合いながらお醤油の貸し借りから始まり、隣近所の様々なかかわりの中で育ってきたと思います。でも、昨今この言葉がこんなに新鮮に、感動的に聞こえるのは、言葉にして伝えなければ伝わらない社会になっているのだなと感じました。子どもたちを育てるうえで、そして人として生きていくうえでとても大切なことであり、誰しもが身につけて成長してほしいと切に願います。
と言う自分もまだまだ人のお役にたてているとは思えませんが、どんな形であっても誰かのためになっていく人生をそれぞれが創造していってほしいと考えています。

春になる

2019.2.21

 学生時代に下宿生活をしている私の友達をよく招いて母はご飯をごちそうしていました。友達が「働くようになったら何かお返ししたいです」と心から感謝の思いを伝えてくれました。でも母の口から出た言葉は「お返しはあなたのそばにいる人たちで困っている人にしてあげれることをしてあげて。」というものでした。
 それを話すとわかってくれる方々もいます。日本人の根底にある考え方なのでしょうか?でも、今は出したお金の分はいただく。それ以上のサービスを期待する。
労力に見合ったものを要求する傾向にあるなあとさみしい感じます。
 目の前の方を助けてあげたお返しは無償でいい。助けられた思いをほかの方々へつなげていくこと。日本人の考え方の良い所として伝えていきたいと思います。

灰色からの手紙

2019.2.6

 “灰色からの手紙”という絵の具のセットを既成のもので済ませるか、あるものと手作りのものでそろえるか?を考えるエッセイが載ってました。私は小学校の習字の道具を思い出しました。私の時代はそんなにセットとして数多く既製品があったわけではありませんがクラスの半分くらいは既製品のセットでした。私は叔父たちが使った硯のお古と家にあったカバン。さすがに筆は買ってもらいました。その中で硯の袋を汚れてもいいように使い古したタオルで袋を母が手作りしてくれていました。もしかすると見た目はみすぼらしく見えたかもしれませんが私にとってはとても嬉しい、母の心使いでした。みんなと一緒じゃなくてもいい。誰かのおさがりでもいい。そこに見た目だけではない思いを認められるようになっていたいと思います。
 今は作るよりも安くて便利なものがあふれています。時間をかけるよりもお金で解決できるほうを選んでしまう空気があるように思えます。その中で、教育、子育てだけは手をかけ、時間をかけることを惜しんではいけないと思います。コンビニですぐに手に入る卵焼き。少し焦げ目のついた不格好なお母さん手作りの卵焼き。心と体が豊かに育つのはどちらでしょう?忙しい時に何度かコンビニ弁当、カップ麺に頼ってもいいと思います。ただ、それを習慣にしないように気を付けたいものです。お母さんの手作り卵焼きは幼児期の心も育てます。

庭しんぶん 第一こどものとも社監修2月号のエッセイの感想です。

子どもたちを守る?って

2019.2.5

 悲しいことに虐待で命を失われてしまう子どもたちのニュースが後を絶ちません。
可哀そうを通り越して怒りでいっぱいになるような周りの対応。今回の千葉の心愛ちゃん。SOSのサインは十分すぎるほど出ていて、保護もしていて、把握していたにも関わらず、尊い命が失われる事態になっていること。あまりにも子どもたちにかかわる大人たちの認識、知識、思いが足りなさ過ぎると感じてしまいます。脅してくる親の元にいる子がどんなに怖い思いをしているか?脅された教育委員会の方は直にわかったのであればそれだけで保護をする理由になるのではないでしょうか?
 また、DVの方々はそれだけでカウンセリングの必要を覚えます。子どもを保護しただけで、期間を置いて収まったから返すのではなく、親のほうにこそ徹底した治療と指導が必要だと強く感じます。
 その子自身の命、心、情緒が傷つけられることなく成長していくためには、大人の私たちが考え、備えていかなければならないことは多くありますが、行政の規則や様々な壁を乗り越えて守っていくことはできないのでしょうか?本当に心から切に願います。家族に虐待される苦しいつらい日々を過ごしている子たちが今日もいることを覚えつつ・・・失われる命がなくなるように!

できないことは悪いこと?

2019.1.30

 先日、今年度の新入社員の研修がありました。1年目なので、失敗することやできないこと、うまくいかないことがたくさんあるけれど、そのことで自分がすべて否定されているわけではない。それぞれできないところはありますが、それぞれのできるところで補い合い、認めていけるというようなアドバイスをしました。その後出されたレポートに「今までできないことは悪いことだと思っていた。」という方がいました。それを見て驚きました。できないことを悪いこととしてとらえていくとき、それぞれはどう自信をつけるのでしょう?できないことをできるように努力することは大事ですが、どんなに努力してもできないことがあります。また、できないことでその痛みや歯がゆさ、相手の痛みを理解することもできます。お互いを支え合うことも自分のできないところ、相手のできないところを知っていくことでできていくのではないでしょうか?

成人式

2019.1.18

 先日の成人式に当たり前ですが、当園の卒園生たちも参列していました。
卒園生でとったグループ写真を見せていただき、すぐにわかる子や教えてもらわなければわからないくらい変わっている子等。どの子もそれぞれに大きく成長していました。その成長はとても嬉しくほほえましいものです。
この子たちが更に幸い多き人生を過ごせるようにと祈りました。入園の時にも卒園の時にもこの子たちの平和な日々を願います。どんなに大きくなっても子どもたちに対する、関わった方々に対しては祝福豊かであることを願うものなのですね。
 
 新年に際し、この年が皆様にとって平和に過ごせるように、恵み豊かであるように祈ります。

クリスマス

2018.12.8

 本日は幼稚園のクリスマス会です。キリスト教保育として、クリスマス本来の意味を子どもたちに伝え、保護者の方々にも伝えることを第一としています。
 とかく、この時期は年末、学期末とも重なり、皆さんが忙しい時期ですね。私もいつの間にかクリスマスは一つの行事をこなす思いが強くなっていました。
学期末の仕事、様々な外部とのかかわりなどの中で忙しさに負けて、クリスマスの喜びや楽しさを忘れていました。今回おもむろに事務の先生に「クリスマスの楽しみってなんだった?」と聞いてみました。「プレゼントをもらう楽しみもあったけど、大切な人たちが喜んでくれるプレゼントを選んで贈るのが今でも楽しい」と言われ、はっと気づきました。私も今でもちゃんと贈り物をしていたのに。忙しさにかまけてその喜びを忘れていました。受くるよりも与える方が幸いです。という言葉もあります。今年のクリスマスは様々なところに喜びを見つけていこうと思い
ます。
 そして今日の天気。1週間前から大雪、吹雪と予報されていました。理事の方々、教職員みんなでお祈りしていました。昨日は降りましたが、吹雪くことなく迎えられ
そうです。神様ありがとうございます。

こどもたち?

2018.11.13

 保育の中で子どもたちと過ごしていくと様々なことが見えてきます。
 今回、私は朝、ホールで子どもたちと遊んでいてアキレス腱を切ってしまいました。
手術をして約2週間後に園に顔を見せると我先にと玄関、職員室に来てくれて、「お祈りしていたよ」「治って良かったね」「長かったね」とたくさんの暖かい言葉をいただきました。なんて優しい子たちだろう!本当に感謝で嬉しくなりました。
 でも、反面もあります。集団になるとその中の弱い子、何かできない子、自分たちとちょっと違うところをもっている子などをなぜか、本能的に見つけて、よくない関わり方を始めます。集団のなかで、自分がより良い立場にたつため、誰か自分よりも下に位置する物をつくり、自分が優位に立つことが無意識のうちに働きます。きっとこれがいじめの発端になるのだと思います。誰からも教えられたわけでもなく。とても恐ろしいことです。保育者はこのような空気に対して、子どもたち一人ひとりと、また、集団と丁寧な関わりをしながら、指導します。聖書の中には弱さや、病んでいるところをことさらに神様は大切にするという個所があります。誰かを下に見なくても、自分を優位に置かなくてもそのままであなたは高価で尊いとおっしゃって下さる方がいらっしゃいます。子どもたちは一人ひとり宝物です。それもそれぞれ違います。できるところもできないところもそのままで愛されるべき私たち一人ひとりです。幼いこの時に自分がすでに愛されるかけがえのない存在であることを心と体に刻んで成長してほしいと願っています。

小学生のお兄さんお姉さん

2018.10.12

 今日は小中学校が研修会のためにお休みです。いつも学童で午後から来ているお兄さんお姉さんたちは朝から幼稚園の子どもたちと一緒に遊んでいます。それぞれに各クラスに分かれてもらい一緒に遊んだり、助けてもらったりします。
 朝のホールでは満3歳から小学校4年生まで仲良く遊んでいます。鬼ごっこをしているグループはやはり小学生のお兄さんがリーダーとなり、遊びを展開しています。
小さい子に本を読んであげている子や。ままごとをしている子。縄跳びの飛び方をじっと見ている子。お互いに刺激になっています。昔はこの光景は地域にいくらでもありました。私もその中で育ってきました。縦のつながりの中、遊び方やルール。けんかや仲直りの仕方。競い合うこと、引くこと。今は公園に行っても子どもたちの姿があまり見られず、残念です。学童を行っているおかげで年に何度か朝から小学生も一緒に過ごすことがあります。お互いに育ちあうことができることがとても良いと考えています。

尊さ

2018.10.4

「生産性がない」という言葉を議員さんがおっしゃって話題になっています。人として生活している私たちに生産性という言葉を当てはめること自体が私には疑問です。人はそれぞれの個性があり、どんな人でも計画をもって生まれてきました。何のために創られ、生かされているかを知らない方々の考える方向は相手を傷つけることを自分の踏み台にするような発言もさせてしまう。目に見える利益や功績、手柄が無ければ価値が無いという考え方は、何十年も前の身分の低いものの人権が認められていない、時と同じ後退した考え方だと思います。キリスト教保育はそれぞれ、一人ひとり、かけがえのない尊い存在であることをこの幼児期に心に刻んでいく保育です。何かが出来たから、価値があるのではなく、何もできない、失敗だらけであってもの、その存在そのものが大切なものであること。利益を求め、その存在に何か価値が無ければ虐げられるのは人として共に生きていくうえで、最も最低な考えだと思います。子どもたちがこの幼児期に自分の存在の尊さ。そして友達の存在の尊さをしっかりと心と体に覚えて育ってほしいと願っています。ですから、その子らしさ、自分らしさをそのままの形で、自信をもって生きていってほしいと思います。また、そうするために保護者の皆様も自分自身に自信をもって子どもたちと関わってください。その自信の根拠はただただ、その子の保護者であるということで十分です。