ひとこと
2017.5.1
三浦綾子さんの本の言葉でできているカレンダーがあります。
「自分一人ぐらいと思ってはいけない。
その一人ぐらいと思っている自分に、たくさんの人がかかわっている。」
三浦綾子著 『人間の原点』
説明に「ある人がでたらめに生きるとその人間の一生に出会う
すべての人が不快になったり、迷惑をこうむったりするのだ。そして不幸にもなるのだ。」とありました。なるほど、私たちはやはり一人では生きていません。必ず何かしらの影響を与えてしまいますし、受けます。
私は説明を読む前にこの言葉を違う意味にとらえていました。
「自分一人ぐらいいなくなっても何も変わらない。誰も悲しまない。なんて思わないで。その一人には必ずたくさんの人がかかわり、その存在を大切に、必要に思っている人がいるよ。」と。
言葉というのは不思議です。奥が深いです。同じ言葉でも様々な取り方が出来ます。同じ人でも時が変われば、違う意味で響いたりします。言葉はひとを励まし、勇気づけもしますが、傷つけ、落ち込ませもします。褒められて成長する子もいれば、叱られて大きくなる子もいます。どのような言葉を発するにも大切に使いたいと思います。
みんな一緒
2017.4.28
日本人はみんな一緒と言われると安心して沈没しそうな船から海に飛び込めるという笑い話を聞いたことがあります。今の小学生や中学生もクラスの中で良い意味でも、悪い意味でも目立たないようにするという傾向があると聞きます。
少し前、水色が流行ると小学生がアウターからランドセルからみんな水色でした。2~3年前は卒園式の女の子たちの衣装はほとんどAKB48風でした。色々な意識や価値評価があり、国民性でもあるとは思います。でも、私たちは一人ひとりみんな個性豊かにデザインされています。顔が似ていても、性格が似ていても同じ人間はいません。その個性を発揮し、互いの違いを受け入れ合い、、成長していく事で相手の気持ちを理解でき、わかりあえていきます。みんな一緒の考え方の方が何をするにも楽です。でも、違いを受け入れあう事は相手を理解しようとするための努力や時には我慢だったり、引いたりしなければできない事で互いに苦労します。でもそうして人間関係を築いていく事でより豊かな信頼関係が育まれるのではないでしょうか?
何かが流行った時にみんな同じでなければ安心できないのではなく、それぞれの違いを幼い時から受け入れられるように成長していってほしいと思います。
明けましておめでとうございます。
2017.1.1
新しい年が来ました。2017年にどのような期待をし、希望を持っていますか?この年が祝福豊かな年になるように祈っています。
友達から1ヶ月毎の卓上カレンダーをいただきました。月毎に素敵な写真が付いていますが、その中に必ず私の名前が入っています。空を飛ぶ気球の模様の中、素敵なお家の表札等。最初はちょっと恥ずかしくも思いましたが、見ていくうちに、自分の名前を今まであまり大切にしていなかったことに気づかされました。仕事の上では園長としての顔でいることがほとんどで、忙しくなると家に帰っても仕事の事から解放されないでいることも多く、自分というより、園長でいることが多くありました。このカレンダーを見て、“MICHIYO”という名前を確認し、自分でいることの大切さを思わせられました。ですから忙しい時には特に肩書きのない自分自身でいることを心がけようと思います。自分を大切にしていなければ、本当の意味で相手を、子どもたちを大切にできません。自分のために、周りのために自分を大切にすることはとても大切なことだと思います。
行きて帰りし物語
2016.12.20
私は56歳になった今でもファンタジーが好きです。中でも王道ですが、トールキンが好きです。冒険に出て行き、また元の所に戻って来る。元の場所はいつもと変わらない日常で、当たり前で、普通の毎日。でも、帰って来た自分は見た目は変わっていなくても、内面は変わっています。成長しています。
子どもたちが幼稚園に来るのも同じです。毎日毎日お母さんのひざ元から幼稚園に来てお友達と仲良く遊んだり。時には喧嘩をしたり。楽しい事があれば、嫌な思いをすることもあります。そんな様々な事を経験して帰り行く場所は家族の元。そこで、安心して守られてまた、明日元気に登園。子どもたちにとっては毎日の幼稚園は冒険そのもの。命の危険はありませんが、様々な挑戦があり、喧嘩があり、できなくて落ち込む事。そして頑張ってみんなに褒められること。その繰り返しの中で、人として生きていくための土台を作っていきます。
幼い子を集団の中に入れることはとても勇気がいることで、保護者の方々もそれぞれの葛藤があるのはわかります。待つ方も心が鍛えられますね。保護者の方がゆったりと自分を待っていてくれるところがあるから安心して冒険に出られます。出て行く方も待つ方も、それぞれに豊かに成長し続ける日々です。
何も変わっていないような毎日ですが、みえないところでは日々、変化しています。子どもたちを子どもたち以上に信じてあげてください。子どもたちは私たち大人を過大評価しています。必ず、守っていくてくれる。最後まで味方でいてくれる。その期待に応えるのは特別な事ではありません。「ちゃんと見ているよ。ここにいるよ。」といつもの所で見ていてくれればいい
のです。
子ども以上に信じるという事は失敗しても大丈夫。できなくても変わらずに愛しているという事です。過度な期待をかける事ではありません。
共感するという事
2016.11.29
先日、知人から手紙をもらいました。その中にはご主人が肺癌で9月に亡くなられたことが書かれていました。もうすでに時が経っていて、どのような思いでこの期間を過ごしていたのかを思うと、そばに居られなかったことがとても悔しく、申し訳ない思いになりました。そばに居ても何もしてあげられないことはわかっています。でも、辛い時、苦しい時に誰かがともにいてくれることはその時には気づかなくても心強いものです。同時に嬉しい時や喜びの時にも共感してくれ人が居てくれると更に喜びが増します。
でも、昨今、自分も含めて自分だけで精いっぱいで、相手の思いに気づいてあげられなかったり、気づいても、そこから距離をとってしまう。全ての人の悲しみや苦しみを共感することはできませんが親しい家族や友達のためには自分の出来る範囲で一緒に居てあげることができる人でありたいと思います。励ましの言葉をかけるのはとても難しいです。言葉がなくても、ただ、共にいてあげることでいいと思います。それも難しいです。自分が辛い時に何をしてほしいか?を考えてあげられれば良いのかもしれませんね。
今年もあと1か月になりました。皆さんそれぞれに大変なことや喜ばしいことがあったと思います。理不尽なことやいまだに納得の出来ない事柄がおありかと思います。でも必ず、いつか、その意味が分かってくる時が来ると信じています。
モチベーション
2016.11.22
今日はもも組(3歳児)のお友達とホットケーキを焼きました。「ぐりとぐら」の絵本で十分遊んで、今度は自分たちでホットケーキ作り。カステラまではいけませんでしたが、子どもたちはとても喜んで、他のクラスにもお裾分けをしてあげました。
先日、仕事が遅くなったので、夕食を先生たちに作りました。パンケーキを焼きました。メレンゲを粉に混ぜ込み、ふわふわにできました。野菜サラダとハムやスクランブルエッグ、シーチキン。それに園でとれたブルーベリーのジャムに生クリームとあんこ。作りすぎたかな?と思う量を気が付いたら完食していました。手作りのパンケーキディナー?をおいしく食べた先生たちは更に仕事に力を入れていました。私はおいしく食べてくれたこ
とに感謝して、また、何かおいしいものつくってあげようと考えています。
誰かに喜んでもらえると、そのことで自分が嬉しくなり、励まされ、更に喜んでくれることをしたいと思います。その良い循環は人が成長する上でとても大切なことだと思います。それができるのが一番身近な家庭教育です。当たり前のように繰り返される日常ですが、お母さんの作ってくれたお弁当が嬉しくて、勉強を頑張る。部活を頑張る。その姿が嬉しくてまた、喜ぶお弁当を作ってあげたいと頑張る。(お弁当に限りません)
そのような中で育つと、社会に出た時に、他の人のため、体制のために仕事ができる。それは自分を励まし力づけます。そうして生活している人には周りも支え、共感してくれます。幼いうちに家庭内での良い循環の中で育つ事はその子の人生の豊かさにつながります。そして大人である親にとっても生きがいとなり、やりがいのある人生となっていきます。当たり前に過ごしている、日々の中の一つ一つが相手のモチベーションを上げて行けるのです。
余裕?
2016.11.16
私はとてもせっかちです。ですから、仕事も早く!早く!と自分を追い立てながらやってしまいます。このため、いつも余裕がなく、時々、やりすぎて、体と心がバランスを崩してしまいます。
ある1日、どうにも疲れてしまい、パソコンにむかったり、細かな事務仕事をすることが出来ない日がありました。なので、その日は絵本の整理をしたり、雑用的なことをゆっくりやっていました。その時に”もうぬげない”という絵本にであいました。自分
で服を脱ぎたいけど服が首の所で引っかかってしまい、その状態で困りながらも、色々今後の事を考えます。でも最後にはお母さんに脱がされてお風呂に入るお話です。その子の健気な奮闘ぶりがなんともおかしく、そしてとても深い意味合いを隠しながら
展開していく流れは疲れた心を和やかにし、癒してくれました。保育後、打ち合わせの時に保育者たちにこの絵本を読んであげました。絵本の中身にやはり共感し、とても楽しんでくれました。そして「人に本を読んでもらうのっていいなあ」と言ってくれました。何気なく、楽しい絵本だからみんなにも伝えたいと思っただけなのに。読んであげたことも先生たちにとって癒しになっていました。絵本は自分で読むよりも読んでもらうものだと言います。そして大人こそ、読んでもらう時が必要なんだと思いました。忙しくしている人。いつも誰かのお世話をしている人。誰かに絵本を読んでもらうこと。大切ですね。そして私もその日、いつものように忙しく仕事をしていたら、この絵本にも出会えず、先生たちに読んであげようともしなかったと思います。日々の中に余裕を持つ事って大切でね。
”もうぬげない” ヨシタケシンスケ ブロンズ新社
出会い
2016.10.14
A君「早くB君こないかなあ。」
私 「A君はB君と仲がいいよね。」
A君「うん」
私 「B君もA君の事好きだよね」
A君「僕ね、C君もD君も好きだよ!」
私 「幼稚園の時に大好きなお友達と出会えるのはとーっても幸せだよね」
幼稚園の先生、小学校の先生、友達と様々な方々と出会っていきます。その中で「この先生と出会えて良かった!」「この友達と出会えて良かった!」と思える方々が居ます。私は小さい頃から友達にも恩師にも恵まれてきました。当園に来る子たちにも「良い先生に出会えた」と思ってもらえると嬉しいです。出会えた友達への感謝とともに、自分がその友達にとって、園児たち
にとって良き友でありたいと思わされます。
「自分にしてもらいたいと望む通り、人にもそのようにしなさい。」と聖書にあります。実行は難しいですが、少しでもこの御言葉に近づけられたいと願っています。
あなたは大切な存在です。
2016.10.12
今朝のニュースの中で「いじめ防止対策推進法」の運用やその法の改正の必要性への意見が報道されていました。
いじめや殺人をなくすためには刑罰を重くすれば防止できるのでしょうか?
自分が愛され、必要とされていることが心と体で理解できていれば、誰かを死にまで至らせるほどのいじめにはならないと考えます。互いに互いを大切に思えることが必要です。そんなことはわかりきっていると言われればおしまいですが、それが出来ていかないのが私達の世の中です。
「互いに愛し合える子を育てる」のがキリスト教保育の目標です。一番難しい事なのかも知れません。でも、世界の平和のために私たちはいま目の前に居る子たちが自分の命と相手の命と心を大切にできる人として育つよう保育していきたいと思います。
何ができてもできなくても自分の存在は認められていると思える子。聖書の神様の愛はそれを十分に認めています。その子たちを育てている保護者の方々も大切な大切な存在です。自分で自分の存在価値を十分に認めてください。
古き良き時代?
2016.9.9
先日、くずもちを作りました。葛というより、片栗粉で作った夏菓子です。レシピがちゃんとあって、その通りに作って、黄な粉や黒蜜でいただくと、なんと!ちょっとした和菓子!
でも私の小さい頃にはおやつも何もなく、お腹のすいた時に母が片栗粉にお湯を注ぎ、砂糖をまぶして作ってくれました。お湯を入れた時の粉が固まる瞬間が面白くてよく見ていました。ちょっとした工夫で感じ方が変わるものですね。
あるおじいちゃんのお話です。孫を時々預かった時にテレビをつけず、ゲームもない状態で向き合うと、孫が色々な事をたくさん話してくれる。
昔に比べると、今はとても便利になりました。退屈する時間もないぐらいにゲームやDVDがあり、テレビのチャンネルも増えて楽しめることがいっぱいです。でも、便利な情報豊富な時代の中で、大切な物を忘れてきているのではないかと思わせられます。テレビを消したら会話や読書が増えること。すぐに手に入るスナック菓子よりも母の味を感じ取れる素朴なお菓子。
昔ながらの時間の進み方で子どもたちと過ごしていくと、更に親子の関係が深まるのではないのかな?と・・・