モチベーション
2016.11.22
今日はもも組(3歳児)のお友達とホットケーキを焼きました。「ぐりとぐら」の絵本で十分遊んで、今度は自分たちでホットケーキ作り。カステラまではいけませんでしたが、子どもたちはとても喜んで、他のクラスにもお裾分けをしてあげました。
先日、仕事が遅くなったので、夕食を先生たちに作りました。パンケーキを焼きました。メレンゲを粉に混ぜ込み、ふわふわにできました。野菜サラダとハムやスクランブルエッグ、シーチキン。それに園でとれたブルーベリーのジャムに生クリームとあんこ。作りすぎたかな?と思う量を気が付いたら完食していました。手作りのパンケーキディナー?をおいしく食べた先生たちは更に仕事に力を入れていました。私はおいしく食べてくれたこ
とに感謝して、また、何かおいしいものつくってあげようと考えています。
誰かに喜んでもらえると、そのことで自分が嬉しくなり、励まされ、更に喜んでくれることをしたいと思います。その良い循環は人が成長する上でとても大切なことだと思います。それができるのが一番身近な家庭教育です。当たり前のように繰り返される日常ですが、お母さんの作ってくれたお弁当が嬉しくて、勉強を頑張る。部活を頑張る。その姿が嬉しくてまた、喜ぶお弁当を作ってあげたいと頑張る。(お弁当に限りません)
そのような中で育つと、社会に出た時に、他の人のため、体制のために仕事ができる。それは自分を励まし力づけます。そうして生活している人には周りも支え、共感してくれます。幼いうちに家庭内での良い循環の中で育つ事はその子の人生の豊かさにつながります。そして大人である親にとっても生きがいとなり、やりがいのある人生となっていきます。当たり前に過ごしている、日々の中の一つ一つが相手のモチベーションを上げて行けるのです。
余裕?
2016.11.16
私はとてもせっかちです。ですから、仕事も早く!早く!と自分を追い立てながらやってしまいます。このため、いつも余裕がなく、時々、やりすぎて、体と心がバランスを崩してしまいます。
ある1日、どうにも疲れてしまい、パソコンにむかったり、細かな事務仕事をすることが出来ない日がありました。なので、その日は絵本の整理をしたり、雑用的なことをゆっくりやっていました。その時に”もうぬげない”という絵本にであいました。自分
で服を脱ぎたいけど服が首の所で引っかかってしまい、その状態で困りながらも、色々今後の事を考えます。でも最後にはお母さんに脱がされてお風呂に入るお話です。その子の健気な奮闘ぶりがなんともおかしく、そしてとても深い意味合いを隠しながら
展開していく流れは疲れた心を和やかにし、癒してくれました。保育後、打ち合わせの時に保育者たちにこの絵本を読んであげました。絵本の中身にやはり共感し、とても楽しんでくれました。そして「人に本を読んでもらうのっていいなあ」と言ってくれました。何気なく、楽しい絵本だからみんなにも伝えたいと思っただけなのに。読んであげたことも先生たちにとって癒しになっていました。絵本は自分で読むよりも読んでもらうものだと言います。そして大人こそ、読んでもらう時が必要なんだと思いました。忙しくしている人。いつも誰かのお世話をしている人。誰かに絵本を読んでもらうこと。大切ですね。そして私もその日、いつものように忙しく仕事をしていたら、この絵本にも出会えず、先生たちに読んであげようともしなかったと思います。日々の中に余裕を持つ事って大切でね。
”もうぬげない” ヨシタケシンスケ ブロンズ新社
収穫感謝会
2016.11.7
11月1日に収穫感謝会をしました。お米や野菜など実りの時期です。私たちの国は四季折々に豊かな食物に恵まれています。でも、世界中の飢餓人口は8億人。栄養不良で亡くなる子が1分に12人。日本では考えられない、信じられない人数です。世界中の子どもたちが生まれてきて良かったと思える世界のために、今私たちができることは何でしょう?国際飢餓対策機構のスライドやパンフレットを見ながら、自分たちが恵まれている感謝と共に、世界の現実を子どもたちと一緒に知りました。遠い国でのでき事ではありますが、自分たちが今できることは何か?保護者の方々と考える時を持ちました。子どもたちからは「今ご飯があ
ることがありがとう」お母さま方からは「意識せずに食物を捨ててしまっていること」についての罪悪感など。難しい事ではありますが園児なりに感じていました。私自身ももっと自覚しつつ、食物について、世界について考えていきたいと思いました。毎日豊かにご飯があるのは当たり前ではないことに感謝しつつ。
秋の気配
2016.10.18
北広島市は今紅葉の真っ盛り。車の運転をしていて、うっかりわき見をしてしまいそうなくらい。でも、秋の深まりと同時進行で冬へも確実に近づいています。どんどん過ぎて行く日々に焦りを感じてしまいます。何の焦りなんでしょう? 今日、4才の男の子が「園長先生、○君がお弁当食べないで、遊んでいたから、先生に怒られてる」と言いに来ました。「先生は何をしたらいい?」と聞くと「ここで聞いていて。また見てくる」 自分が何かしてあげたい。でも、どうしていいかわからない。園長ならなんとかしてくれるかもと来たのかも知れません。3才で入ったころはコミュニケーションをとるのが苦手な子でした。其が友達と先生のために何かしなきゃと行動を起こして来ました。その成長をとてもとてもほほえましく嬉しく思った出来事でした。
出会い
2016.10.14
A君「早くB君こないかなあ。」
私 「A君はB君と仲がいいよね。」
A君「うん」
私 「B君もA君の事好きだよね」
A君「僕ね、C君もD君も好きだよ!」
私 「幼稚園の時に大好きなお友達と出会えるのはとーっても幸せだよね」
幼稚園の先生、小学校の先生、友達と様々な方々と出会っていきます。その中で「この先生と出会えて良かった!」「この友達と出会えて良かった!」と思える方々が居ます。私は小さい頃から友達にも恩師にも恵まれてきました。当園に来る子たちにも「良い先生に出会えた」と思ってもらえると嬉しいです。出会えた友達への感謝とともに、自分がその友達にとって、園児たち
にとって良き友でありたいと思わされます。
「自分にしてもらいたいと望む通り、人にもそのようにしなさい。」と聖書にあります。実行は難しいですが、少しでもこの御言葉に近づけられたいと願っています。
あなたは大切な存在です。
2016.10.12
今朝のニュースの中で「いじめ防止対策推進法」の運用やその法の改正の必要性への意見が報道されていました。
いじめや殺人をなくすためには刑罰を重くすれば防止できるのでしょうか?
自分が愛され、必要とされていることが心と体で理解できていれば、誰かを死にまで至らせるほどのいじめにはならないと考えます。互いに互いを大切に思えることが必要です。そんなことはわかりきっていると言われればおしまいですが、それが出来ていかないのが私達の世の中です。
「互いに愛し合える子を育てる」のがキリスト教保育の目標です。一番難しい事なのかも知れません。でも、世界の平和のために私たちはいま目の前に居る子たちが自分の命と相手の命と心を大切にできる人として育つよう保育していきたいと思います。
何ができてもできなくても自分の存在は認められていると思える子。聖書の神様の愛はそれを十分に認めています。その子たちを育てている保護者の方々も大切な大切な存在です。自分で自分の存在価値を十分に認めてください。
いもの塩煮
2016.9.28
先日収穫したジャガイモをお誕生会に塩煮にしました。大人であれば塩からをのせて食べると最高ですが・・・バターやマヨネーズを用意しようと考えましたが、ジャガイモ本来の味を知ってほしいと思い、あえて塩だけで食べました。ちょっと多くゆですぎたと思ったお芋を子どもたちはあっという間に平らげてしまいました。よほどおいしかったのでしょう。
素材だけで味を楽しめるのは、とても贅沢なことではないでしょうか?様々な調味料でしっかりと調理しなければおいしく食べられないものではなく、ゆでたまま、塩だけで食べられること。ジャガイモに限らず、北海道はおいしいものがたくさんあります。
素材の味を知ることも食育であり、五感の刺激になります。ファストフードやスナック菓子の味で育ってしまいがちな今の子どもたちに、旬の本物の味を知ってもらいたいと切に思います。そのものの味を知ることは、鮮度や傷みなどにも気づけます。身を守ることに通じます。自然のものを食する事の貴重さを改めて考えさせられました。
あいさつ
2016.9.15
「高橋先生 おはようございます。」
私が32年前、勤め始めた時の毎朝の子どもたちとの挨拶でした。私も挨拶はちゃんとしているつもりでしたが、相手の顔を見て、相手の名前を言って挨拶をするのは、自分が認められているようで、とても嬉しい気持ちになりました。挨拶一つで、相手を認めていることが伝わります。そんな小さなことがその人を認め、その人の自信につながります。
運動会で頑張るリレーや跳び箱。出来る力やセンスはもっているのに、なぜか力を出し切れていない子が居ます。「自信がない」体を動かすことの自信ではなく、自分の存在に対する自信。色々なことができているのに、なぜこの子は?何ができたから、何かが上手だから認められるではなく、何もできなくても、失敗
してもその子のその存在がかけがえのない、大切な物である事。その子の名前を呼んで挨拶すること。なんでもない時にも抱きしめて、言葉で「あなたは大切な子」であることを伝えていく事。時々はその子の体にぴったり合ったその子の服が与えられること(普段はおさがりで大丈夫)。誕生日に生まれてきたことを感謝すること。いま在ることを良しとされ、喜ばれることが大切です。そしてお父さん、お母さんご自身も大切な大切な存在であることに自信を持ってください。
古き良き時代?
2016.9.9
先日、くずもちを作りました。葛というより、片栗粉で作った夏菓子です。レシピがちゃんとあって、その通りに作って、黄な粉や黒蜜でいただくと、なんと!ちょっとした和菓子!
でも私の小さい頃にはおやつも何もなく、お腹のすいた時に母が片栗粉にお湯を注ぎ、砂糖をまぶして作ってくれました。お湯を入れた時の粉が固まる瞬間が面白くてよく見ていました。ちょっとした工夫で感じ方が変わるものですね。
あるおじいちゃんのお話です。孫を時々預かった時にテレビをつけず、ゲームもない状態で向き合うと、孫が色々な事をたくさん話してくれる。
昔に比べると、今はとても便利になりました。退屈する時間もないぐらいにゲームやDVDがあり、テレビのチャンネルも増えて楽しめることがいっぱいです。でも、便利な情報豊富な時代の中で、大切な物を忘れてきているのではないかと思わせられます。テレビを消したら会話や読書が増えること。すぐに手に入るスナック菓子よりも母の味を感じ取れる素朴なお菓子。
昔ながらの時間の進み方で子どもたちと過ごしていくと、更に親子の関係が深まるのではないのかな?と・・・
自分の位置
2016.8.20
湿気の多い日が続いています。体調を崩していませんか?
先日”剣岳 点の記”という映画を見ました。地図を作るために正確な山の高さを調べるために、登る道を捜しながら、過酷な経験を繰り返し頂上を目指し、地図を作られた方々のものでした。私がこの映画から学んだのは「自分の位置」という事でした。いま、実際にいる地図上の位置、というよりも、自分が何者であるか?自分ができることと出来ない事。周りの方々との関わりの中での自分の位置。役割等。
子どもたちの中には友だちの事や先生の思いに気づいて優しい気配りができる子もいます。でもまだまだ未熟な子どもたち。自分の思い通りにしたい子ばかりの中でが、それぞれがぶつかりながら成長していきます。それで良いのだと思います。喧嘩をして悔しい思いをしたり。自分の思いが通ったり、通らなかったり。褒められたり、頑張りが実ったり。そうするには友だちの中でもまれなければ、心の成長はありません。そして友達の中でなければ、自分の位置も図れません。幼い時に人との関わりをおぞれない経験をしてほしいです。そうするには保育者やご家族の方々との支えや、励まし慰めもとても大切です。その中で育った子はいじめをしない子になると思います。自分が十分、認められて過ごしていく子は自分より下に友だちを置くようにはなりません。
そして私たち大人も同じように自分の位置をある程度把握しながら、周りの方々と平和な関係を築いていきたいですね。