尊さ
2018.10.4
「生産性がない」という言葉を議員さんがおっしゃって話題になっています。人として生活している私たちに生産性という言葉を当てはめること自体が私には疑問です。人はそれぞれの個性があり、どんな人でも計画をもって生まれてきました。何のために創られ、生かされているかを知らない方々の考える方向は相手を傷つけることを自分の踏み台にするような発言もさせてしまう。目に見える利益や功績、手柄が無ければ価値が無いという考え方は、何十年も前の身分の低いものの人権が認められていない、時と同じ後退した考え方だと思います。キリスト教保育はそれぞれ、一人ひとり、かけがえのない尊い存在であることをこの幼児期に心に刻んでいく保育です。何かが出来たから、価値があるのではなく、何もできない、失敗だらけであってもの、その存在そのものが大切なものであること。利益を求め、その存在に何か価値が無ければ虐げられるのは人として共に生きていくうえで、最も最低な考えだと思います。子どもたちがこの幼児期に自分の存在の尊さ。そして友達の存在の尊さをしっかりと心と体に覚えて育ってほしいと願っています。ですから、その子らしさ、自分らしさをそのままの形で、自信をもって生きていってほしいと思います。また、そうするために保護者の皆様も自分自身に自信をもって子どもたちと関わってください。その自信の根拠はただただ、その子の保護者であるということで十分です。
震度3
2018.10.2
昨日、保育中に震度3の地震がありました。9月6日以後、子どもたちよりも私たち、保育者が揺れに対しては敏感になり恐れをもっています。地震後、すぐに職員会義を開きました。今までも避難訓練として、火災の時、地震の時のマニュアルはしっかりあって、その訓練も子どもたちと定期的に行っていました。でも、今回の地震を通して、もっともっと具体的で、実際的なものが必要であることわかりました。確かに、震度5の地震が来るとは考えていませんでした。避難訓練について話し合っていたので、昨日の震度3の地震は揺れた途端に保育者たちが部屋からそれぞれの確認をし、速やかにホールの真ん中に集まる。その一連の動作はとても静かでスムーズでした。災害の時にそれぞれが自分の命を守る行動ができる訓練をする。その一番初めの訓練は日頃から人の話を聞くということだと考えます。何かあった時にやみくも
に逃げ、騒ぐのではなく、信頼できる人の話を聞くことが習慣となっていてれば、そのあとの行動はスムーズに運びます。かおりの子たちはそういった面では毎日の礼拝の中でお話を聞き、理解する力は日々、ついて行ってます。昨日の地震は保育中初めての地震でした。にもかかわらず、しっかりと子どもたちが保育者の話を聞いて行動できていた姿には感動さえ覚えました。日頃の話を聞くという信頼関係を互いの命を守るというまず第一の防災として、もこれから更に大切にしていきたいと考えていま
す。
大きな地震
2018.9.10
今日から通常通りに保育がスタートしました。
「会いたかったよー」「怖かったー」と抱き合った子どもたちとの再会は長い休みあけとはまた、違う感じでした。園児たち全員が無事であることはわかっていても、直にその顔を見て、触れ合うことでこんなに安心できることとは初めての経験でした。
北広島は停電だけでした。マンションの方は断水の方もおられましたが。7日金曜日の10時過ぎにやっと電気がつきました。どれだけ電気に頼っているのか?そして、ここには災害は来ないという思いがずっとあり、ろくな備えをしていなかったことを反省しました。
自分が困るということは、他の人にも迷惑をかけてしまう。体力もつけておく。健康に気を付けなければ、いつもと違うことが起こるとすぐに心身共に弱り果ててしまうこと。あの震度5の地震を経験するだけで恐ろしさのショックは初めての経験でした。この経験を生かして次に備えていきたいと考えています。ただただ無事な子どもたちと会えたのが、一番の幸せでした。
良い事?
2018.8.24
子どもが車道に飛び出しそうに駆け出したので、「走っちゃだめ!」
ととっさに大きな声を出したことがありました。近くにお母さんがいて、
「ほら、怒られたじゃない!」
Aちゃんがお友達を叱っていました。「そんなことしたら先生に怒られるよ!」
あれ?それはちょっと違うなあ。誰かに怒られるという基準で良い事と、悪いことを決めているのは違います。子どもが成長していく時に様々なことを学び、身に着けていきます。善悪の判断がその子の良心にしっかりとした基準で身につけてほしいと願います。人は悲しいことに悪い言葉、ずるい事、うそは誰に教えられなくても身についていきます。その時に正しく道を整えていくためにも大人の役割は重いものがあります。と書きながら自分自身もそこに立てるように。吟味しながら。失敗しつつも、あきらめないでいきましょう。
めろんぱんⅡ
2018.7.26
めろんぱんの続きです。
生活の中はとても便利になりました。今のように携帯電話を持ち歩き、更にPCの機能まであるなんて私が30代前半には考えもつきませんでした。メールが送れて、わからないことはすぐに図書館以上の情報量を持つインターネットで調べることができる。お洗濯もスイッチ一つで乾かすところまでやってくれる。材料を仕込んでおけば朝にはふっくらパンが出来ている。便利になり、時間がその分浮いたはずなのに・・・更に忙しい日々を過ごしています。なぜでしょう?
先日子どもたちのためにめろんぱんを焼いた時に感じたのは手間と時間でした。めろんぱんは割合安く手に入ります。でも手間はかかります。
買った方が早くおいしいものが食べられます。でも、手間をかけて大切な子どもたちのために時間を費やすのはとても楽しく充実した時間でした。
自己満足かもしれません。でも、必ずその手間や苦労は子育てのなか、子どもたちに伝わっていると信じます。お母様方の毎日のお洗濯(全自動であっても)お掃除、三度のご飯支度。日々繰り返されていることは一つ一つ子どもたちに必ず伝わっています。乳幼児期はあっという間に過ぎ、二度と経験できません。いまを楽しんでください。
夏休み。成果や、見栄えより一緒に何かをした。遠くまで一緒に歩いた。
自転車で冒険した。など時間と手間のかかった1日が過ごせれば、それが一番子どもたちにとって楽しい時だと思います。
めろんぱんⅠ
2018.7.13
今日はお泊り会です。お泊り会の朝食は園長の手作りパンです。
塩パン、黒糖パン、ウィンナーパンを焼きますが、ウィンナーパンは子どもたちと成形します。子どもたちはお泊り会事態が楽しみなので、準備からテンション高めです。その朝、台所にいる私が何をしているか、興味津々で見ていたAちゃん、B君、Cちゃん。その3人に「内緒だよ。絶対に誰にも言わないでね。お泊り会の朝にはメロンパンもあるんだよ!内緒だよ。」と言うと「わ~い!わかった!」と3人の子たちが言ったあと、Dちゃんが来ました。さっそく「Dちゃん!お泊り会に
メロンパンもあるんだよ!」と教えていました。あまりにも早い展開におかしくなりました。逆に伝わっていいと思いつつ、内緒だよとは言ったのですが。嬉しいことはみんなに早く伝えたいのは子どもも大人も同じですね。
ブロック遊び
2018.6.22
5歳のA君は1番バスで到着し、大好きなブロックで遊び始めました。
まだ子どもたちがそろっていないので、たくさんのブロックを使っています。
そこへ4歳のB君たちが来てそのブロックを貸してと言いますが、貸してあげません。何日か続いた中で、「A君、小さい子たちもこのブロック使いたいんだよ。貸してあげられるとみんなも楽しんで遊べるんだけどなあ」と言ってそこを離れ、少したって行ってみるとA君は全部のブロックを他の子に貸していました。そのことを「すごいねー。A君!さすが!お兄さんだね!」
と褒めると、ブロックを全部貸してしまってちょっと後悔していたA君の心は褒められたことの方が嬉しくて、次の遊びの中でどんどんお友達と積極的に遊びを展開していました。
友達の分まで使って自分の好きなように遊んでいるときよりも、少し我慢ができたこと、認められたことが自信となっていったのだと思います。全てがそろって自分の好きなようにできるより、不足の中で、我慢すること、相手を思いやることを学び、大人になっていくことの方が、嬉しいものであること。A君は今日大切なことを得ることが出来ました。
少年犯罪
2018.6.15
毎日のように残虐な犯罪が報道されています。インターネットで知り合った者たちが殺人や自殺を計画したり。殺人などの凶悪犯罪が低年齢化してきています。その犯罪を防ぐために極刑や刑罰を重くすることを望む声も大きく取り上げられています。
犯罪に対しての刑罰は必要です。でも、できれば犯罪者にならない育て方、教育を切に願い研究したいと考えます。犯罪者たちを調べていると、ほとんどの方々に「愛着障がい」が見られるとあります。愛着障がいとは母親をはじめとする養育者に愛情
深い関係が何らかの理由(虐待、死別等)で形成されず、情緒や対人関係に問題があ
ることです。家族の中で普通に育つことが困難な時代になってきたのでしょうか?今目の前にいる子どもたち、家族と優しく労りあい、時にはけんかやもめごとがありながらも、共に暮らしていく。その普通の生活が当たり前ではない幸せと感じること?愛は教育しないと育たないとある大学教授がお話ししていました。愛の教育はまず、家庭の中にあります。いつくしんで子どもたちを育てていくこと。この当たり前のことが守られていくことを願い、また、お手伝いしたいと切望しています。
1人ひとりの子どもたち
2018.6.14
「Aちゃんもこっちに来て遊ぼう」
「今絵本読んでる!」
Bちゃんが一人でいるAちゃんを気遣い、声をかけていました。Aちゃんは眼にいっぱい涙をためて、Bちゃんの方も見ず、絵本を見ています。きっとAちゃん、Bちゃんを含めた数人の女の子の中で何かあったようでした。
BちゃんにはA ちゃんは今絵本を見たいから大丈夫だよ。誘ってくれてありがとうと伝え、遊びに戻りように勧めました。Aちゃんの隣に座り、顔を覗き込むと、絵本の中のお話をしてくれました。涙は少し消えていました。
そして、誰かに何かされた、何か言われたと訴えることなく、いつものAちゃんに戻っていきました。子どもたちの世界はそれぞれがまだまだ未熟です。3歳くらいの頃は周りの大人に助けを求めることで解決しましたが、4歳、5歳にもなると、友達との関わりの中で、お互いの言い分があり、ある程度、わがままや、我慢する必要を覚えていく中、自分たちで納めていけるようになります。
一人ひとりの子どもたちの心の動き、成長に寄り添い、見守っていきたいと考えています。
ご無沙汰しました
2018.5.25
言い訳です。忙しさの中で、3か月以上も更新していませんでした。
書きたいことはいくつかありましたが、それも埋もれてしまい・・・
反省です。
先日、初めてのお茶の日を年長組で行いました。月に1度、日本の伝統的な文化である茶道に触れる目的で行っています。年に11回茶道の先生にご指導をいただいています。
子どもたちも、この時間が大好きです。茶道の先生の纏う空気で子どもたちの向かう姿勢も一変します。とても良い緊張感の中で進められます。背筋が自然に伸びます。
「これが抹茶です。」とおっしゃった先生の言葉に子どもたちが集中します。今までに見たこと、聞いたことがなかったこと、知らなかったことを心と体と脳、全身で吸収ていく子どもたちのエネルギーに圧倒されました。新しいことを知ること、吸収することはいくつになっても大切な事であり、また、幼い時に本物に触れることがとても貴重な体験になることを改めて感じました。