成人式
2019.1.18
先日の成人式に当たり前ですが、当園の卒園生たちも参列していました。
卒園生でとったグループ写真を見せていただき、すぐにわかる子や教えてもらわなければわからないくらい変わっている子等。どの子もそれぞれに大きく成長していました。その成長はとても嬉しくほほえましいものです。
この子たちが更に幸い多き人生を過ごせるようにと祈りました。入園の時にも卒園の時にもこの子たちの平和な日々を願います。どんなに大きくなっても子どもたちに対する、関わった方々に対しては祝福豊かであることを願うものなのですね。
新年に際し、この年が皆様にとって平和に過ごせるように、恵み豊かであるように祈ります。
クリスマス Ⅱ
2018.12.21
今朝の礼拝の中で子どもたちに「クリスマスはどうして嬉しいの?」と聞いてみました。「プレゼントもらえるから」「サンタさんくるから」そして「イエス様が十字架にかかってくれるために生まれた誕生日だから」と今までの習慣であった楽しさと、クリスマスの本当の意味を礼拝の中で聞いていた子たちの素直な答えが返ってきました。
小さな子どもたちにとってはまだまだプレゼントをもらう側。ツリーの下に置かれたプレゼント。目を覚ましたら枕もとに置かれているプレゼント。
わくわくドキドキします。期待の中にある子どもたち。その子たちに今日はもう一つ。「もらうだけではなく、みんなにもできることをしてみようか?」
ということで、いつも守ってくれている保護者の方々へ、日々の感謝を伝えることはとても大切で、お母さんお父さんにとっては感謝されることはとても嬉しいことであることを伝えました。クリスマスはどうしてもサンタさんやケーキやごちそう。プレゼント交換などがメインになりますが、お互いに感謝しあうことが何よりの喜びだと考えます。もうすでに神様がイエス様を私たちのために与えてくださったのですから。思い通りにいかないこともまだまだ目の前に課題としてあるかもしれません。でも、今、在ることだけで、感謝であることに気づけることが大事ではないでしょうか?
今年は9月に大きな地震がありました。そのことで子どもたちも私たちも多くのことを学び、今までとは違う思いで日常を送っています。そして普通に送っているこの日常が当たり前ではない特別な祝福であることをもっともっと深く知ることが出来ました。
今年の特別なクリスマス。誰にどんな感謝を伝えますか?
クリスマス
2018.12.8
本日は幼稚園のクリスマス会です。キリスト教保育として、クリスマス本来の意味を子どもたちに伝え、保護者の方々にも伝えることを第一としています。
とかく、この時期は年末、学期末とも重なり、皆さんが忙しい時期ですね。私もいつの間にかクリスマスは一つの行事をこなす思いが強くなっていました。
学期末の仕事、様々な外部とのかかわりなどの中で忙しさに負けて、クリスマスの喜びや楽しさを忘れていました。今回おもむろに事務の先生に「クリスマスの楽しみってなんだった?」と聞いてみました。「プレゼントをもらう楽しみもあったけど、大切な人たちが喜んでくれるプレゼントを選んで贈るのが今でも楽しい」と言われ、はっと気づきました。私も今でもちゃんと贈り物をしていたのに。忙しさにかまけてその喜びを忘れていました。受くるよりも与える方が幸いです。という言葉もあります。今年のクリスマスは様々なところに喜びを見つけていこうと思い
ます。
そして今日の天気。1週間前から大雪、吹雪と予報されていました。理事の方々、教職員みんなでお祈りしていました。昨日は降りましたが、吹雪くことなく迎えられ
そうです。神様ありがとうございます。
こどもたち?
2018.11.13
保育の中で子どもたちと過ごしていくと様々なことが見えてきます。
今回、私は朝、ホールで子どもたちと遊んでいてアキレス腱を切ってしまいました。
手術をして約2週間後に園に顔を見せると我先にと玄関、職員室に来てくれて、「お祈りしていたよ」「治って良かったね」「長かったね」とたくさんの暖かい言葉をいただきました。なんて優しい子たちだろう!本当に感謝で嬉しくなりました。
でも、反面もあります。集団になるとその中の弱い子、何かできない子、自分たちとちょっと違うところをもっている子などをなぜか、本能的に見つけて、よくない関わり方を始めます。集団のなかで、自分がより良い立場にたつため、誰か自分よりも下に位置する物をつくり、自分が優位に立つことが無意識のうちに働きます。きっとこれがいじめの発端になるのだと思います。誰からも教えられたわけでもなく。とても恐ろしいことです。保育者はこのような空気に対して、子どもたち一人ひとりと、また、集団と丁寧な関わりをしながら、指導します。聖書の中には弱さや、病んでいるところをことさらに神様は大切にするという個所があります。誰かを下に見なくても、自分を優位に置かなくてもそのままであなたは高価で尊いとおっしゃって下さる方がいらっしゃいます。子どもたちは一人ひとり宝物です。それもそれぞれ違います。できるところもできないところもそのままで愛されるべき私たち一人ひとりです。幼いこの時に自分がすでに愛されるかけがえのない存在であることを心と体に刻んで成長してほしいと願っています。
ピアノコンサート
2018.10.18
本日午前10時半から当園ホールにて”開園40周年記念ピアノコンサート”を開催しました。ピアニストは北広島在住で、長くドイツで学んでこられた山田陽子さんです。
40周年を迎え、開園以来、本当に多くの方々に支えられ、守られて今に至っています。ご迷惑をおかけしたことやお世話になったこと、多くの事が思い出され、許されつつ今があることを心から感謝しています。
園児と共に聞かせていただいた曲目を演奏者の山田さんは「神様にお祈りする気持ちで聞いてみて」とバッハの”主よ人の望みの喜びよ”。2曲目「エリーゼさんを好きなベートーベンさんが作った曲なのに、ちょっと悲しい感じだけどどうしてかな?」と問いかけながら、興味を引きながら演奏してくださり、子どもたちも聞き入っていました。またショパンの”革命”では「この曲は怒っている曲なんだよ」と子どもたちが心と体で聞きやすいように解説してくださり、大人の私たちもわかりやすく聞けました。後半は”ベートーベンの月光””ショパンのノクターン”
”リストの愛の夢”を演奏してくださいました。山田さんの演奏の素晴らしさ、表現の豊かさに心も体も癒され、感動しました。園のホールは暖かい、恵みでいっぱいになりました。皆さんが喜んで帰ってくださったことが何よりでした。本当に快く引き受けてくださった山田さんに感謝し、これまでご理解ご協力くださった地域の方々に感謝しています。また、許されれば、このようなコンサートを開ければと願っています。
今日も地震がありました。
2018.10.12
「みんなあ!今地震です。だんごむしになって先生の所に集まってください。」
朝のホールでそれぞれが自由に遊んでいる中、園長の声がかかると、子どもたちはどんなに元気に大きな声で遊んでいてもその声を聞き分けて、さっと頭を抱え、園長や周りの先生たちのもとに集まります。そしてしーんと静まります。
揺れがおさまったところで、点呼をとり、全員の無事を確認します。今朝は9時14分という朝の時間でした。でも、先日、クラス活動の時におきた地震の時にもすぐに近くの先生たちの言葉に従い、避難出来ました。
昨日は意図的に先生たちにも言わず、抜き打ちで避難訓練をしました。打ち合わせで、その時の反省をし、今日の地震ではその反省のもとにしっかり確認しながら、落ち着いて行えました。災害の時の周りの大人たちの落ち着きと、的確な判断が本当に大切であることを通感し、命を守っていることの重責を感じます。また、日ごろの子どもたちの生活も大切であることを思わせられます。当園の子はよく、「話の聞ける子たちですね」と褒められますが、避難時こそそれが発揮されます。そして大きな声で返事をすること。点呼の大切さを思わせられます。北広島市は震度1から2ですが、このところの地震に対して、慣れることなく、子どもたちの安全を確保するために、具体的なものと心の備えをしっかりしていきたいと考えています。
小学生のお兄さんお姉さん
2018.10.12
今日は小中学校が研修会のためにお休みです。いつも学童で午後から来ているお兄さんお姉さんたちは朝から幼稚園の子どもたちと一緒に遊んでいます。それぞれに各クラスに分かれてもらい一緒に遊んだり、助けてもらったりします。
朝のホールでは満3歳から小学校4年生まで仲良く遊んでいます。鬼ごっこをしているグループはやはり小学生のお兄さんがリーダーとなり、遊びを展開しています。
小さい子に本を読んであげている子や。ままごとをしている子。縄跳びの飛び方をじっと見ている子。お互いに刺激になっています。昔はこの光景は地域にいくらでもありました。私もその中で育ってきました。縦のつながりの中、遊び方やルール。けんかや仲直りの仕方。競い合うこと、引くこと。今は公園に行っても子どもたちの姿があまり見られず、残念です。学童を行っているおかげで年に何度か朝から小学生も一緒に過ごすことがあります。お互いに育ちあうことができることがとても良いと考えています。
尊さ
2018.10.4
「生産性がない」という言葉を議員さんがおっしゃって話題になっています。人として生活している私たちに生産性という言葉を当てはめること自体が私には疑問です。人はそれぞれの個性があり、どんな人でも計画をもって生まれてきました。何のために創られ、生かされているかを知らない方々の考える方向は相手を傷つけることを自分の踏み台にするような発言もさせてしまう。目に見える利益や功績、手柄が無ければ価値が無いという考え方は、何十年も前の身分の低いものの人権が認められていない、時と同じ後退した考え方だと思います。キリスト教保育はそれぞれ、一人ひとり、かけがえのない尊い存在であることをこの幼児期に心に刻んでいく保育です。何かが出来たから、価値があるのではなく、何もできない、失敗だらけであってもの、その存在そのものが大切なものであること。利益を求め、その存在に何か価値が無ければ虐げられるのは人として共に生きていくうえで、最も最低な考えだと思います。子どもたちがこの幼児期に自分の存在の尊さ。そして友達の存在の尊さをしっかりと心と体に覚えて育ってほしいと願っています。ですから、その子らしさ、自分らしさをそのままの形で、自信をもって生きていってほしいと思います。また、そうするために保護者の皆様も自分自身に自信をもって子どもたちと関わってください。その自信の根拠はただただ、その子の保護者であるということで十分です。
震度3
2018.10.2
昨日、保育中に震度3の地震がありました。9月6日以後、子どもたちよりも私たち、保育者が揺れに対しては敏感になり恐れをもっています。地震後、すぐに職員会義を開きました。今までも避難訓練として、火災の時、地震の時のマニュアルはしっかりあって、その訓練も子どもたちと定期的に行っていました。でも、今回の地震を通して、もっともっと具体的で、実際的なものが必要であることわかりました。確かに、震度5の地震が来るとは考えていませんでした。避難訓練について話し合っていたので、昨日の震度3の地震は揺れた途端に保育者たちが部屋からそれぞれの確認をし、速やかにホールの真ん中に集まる。その一連の動作はとても静かでスムーズでした。災害の時にそれぞれが自分の命を守る行動ができる訓練をする。その一番初めの訓練は日頃から人の話を聞くということだと考えます。何かあった時にやみくも
に逃げ、騒ぐのではなく、信頼できる人の話を聞くことが習慣となっていてれば、そのあとの行動はスムーズに運びます。かおりの子たちはそういった面では毎日の礼拝の中でお話を聞き、理解する力は日々、ついて行ってます。昨日の地震は保育中初めての地震でした。にもかかわらず、しっかりと子どもたちが保育者の話を聞いて行動できていた姿には感動さえ覚えました。日頃の話を聞くという信頼関係を互いの命を守るというまず第一の防災として、もこれから更に大切にしていきたいと考えていま
す。
大きな地震
2018.9.10
今日から通常通りに保育がスタートしました。
「会いたかったよー」「怖かったー」と抱き合った子どもたちとの再会は長い休みあけとはまた、違う感じでした。園児たち全員が無事であることはわかっていても、直にその顔を見て、触れ合うことでこんなに安心できることとは初めての経験でした。
北広島は停電だけでした。マンションの方は断水の方もおられましたが。7日金曜日の10時過ぎにやっと電気がつきました。どれだけ電気に頼っているのか?そして、ここには災害は来ないという思いがずっとあり、ろくな備えをしていなかったことを反省しました。
自分が困るということは、他の人にも迷惑をかけてしまう。体力もつけておく。健康に気を付けなければ、いつもと違うことが起こるとすぐに心身共に弱り果ててしまうこと。あの震度5の地震を経験するだけで恐ろしさのショックは初めての経験でした。この経験を生かして次に備えていきたいと考えています。ただただ無事な子どもたちと会えたのが、一番の幸せでした。