学校法人恵愛学園 認定こども園 北広島かおり幼稚園

Diary

園長ブログ

尊い命

2019.5.10

 大津市においての保育園児の事故で尊い命が失われました。失われた命に対する思いはどんな言葉でも表せないほどの悲しさ、苦しさ、悔しさ、怒り、理不尽な思い…でも当事者であるご家族や保育園関係の方々の思いはいかばかりかと察するに及びません。今はこのような事故が起こるとすぐに責任問題や賠償、再発の防止とどんどん先へ先へと進みます。今回は散歩の自粛の考え。今までにブランコの事故や滑り台の事故があれば、その遊具の撤去等。そうではなくて、今回は運転者の運転意識が問題であり、また、運転するもの全員がいまもう一度、ハンドルを握ることは命に係わる重大な責任を伴うことであることを認識することではないかと思います。私自身、自分の運転を見直し、殺人マシンに乗っていることを自覚して運転することをもっともっと心がけなければならないと再確認しました。けがをしたから、事故を起こしたから、その保育内容を見直したり、遊具を撤去するのではなく、どう遊んだら、安全に遊べるか?小さな失敗、小さなケガをしながら大きな失敗、大きなけがにならない訓練としてこの幼児期を様々な経験をさせることは大切だと考えます。ただ、今回のように取り返しのつかない事故に巻き込まれた時には、どう判断し、慰めの言葉も浮かびません。ただ、ただ、子どもたちの遊びの範囲が狭められないことを願っています。

空想のおはなし

2019.5.8

 私 「おはよう」
 A君「今日ね。夢見たんだよ」
 私 「どんな夢見たの?」
 A君「怪獣出てきたの」
 私 「怪獣怖かった?」
 A君「怪獣仲良しだった」
 私 「何して遊んだの?」
 A君「ブロックで消防車作ったの」
 B君「僕もね、僕もね夢見たよ。」
 私 「誰出てきたの?」
 B君「アンパンマンとばいきんまん」
 と満3歳の男の子二人と私の朝の会話です。この後もお話はどんどん膨らんでいきました。夢をどれだけリアルに覚えているのかはわかりませんが、聞かれたことに様々に考えて答えてくれました。もう一人の子もその会話に入りたくてちゃんと話の中に入ってきました。うその作り話としてしまうのではなく、昨今想像力の低下が心配されている中、満3歳の子にはこんなに想像力が豊かにあります。これを更に豊かに育てていくことが私たちの大切な責務です。お子さんたちと想像を膨らませられるお話しをたくさんしましょう。その中で現実との違いも分かっていきます。満3歳児の時にはちゃんと想像力が備わっています。これを日々の何気ない会話の中で育てていきましょう。

大型遊具

2019.4.26

 今日から園庭に工事が入りました。大型の遊具を計画しました。砂場と泥で遊べる所。
クライミングができる所等。保育者たちと子どもたちが様々な遊びが展開でき、体を動かし、心を動かして遊べることを目指しました。業者さんともいろいろ話し合い、アイデアをもらって、昨年秋から着工しました。今朝、大きなと落暉からクレーンで運び出された10本の10mくらいの丸太。保育室から見ているとすごい迫力で子どもたちはくぎ付けでした。素材からできていく様子を見られることも予期せぬ収穫でした。こんなに近くでクレーンや丸太を見るのは私たちも初めてでした。完全な感性は来年になりますが、今期は5月末で完成です。どのような遊びが繰り広げられるかわくわくドキドキです。
遊びって本当に楽しく心躍りますね!

ご無沙汰しました

2019.4.19

 先日、東京大学の入学式での祝辞がテレビで話題になってました。上野千鶴子名誉教授の祝辞でした。東大の新入生に向かい、
「あなたたちの頑張りをどうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。」
「恵まれた環境と恵まれた能力を恵まれない人たちを助けるために使ってください。」
様々なところで話題にされていましたが、ふと気が付くと、内容は私たちが育てられてくる時に、誰かが、いつもどこかで言ってきたことではないかと思わされました。古き良き日本の教育はお互い様の中でいつも助け、助け合いながらお醤油の貸し借りから始まり、隣近所の様々なかかわりの中で育ってきたと思います。でも、昨今この言葉がこんなに新鮮に、感動的に聞こえるのは、言葉にして伝えなければ伝わらない社会になっているのだなと感じました。子どもたちを育てるうえで、そして人として生きていくうえでとても大切なことであり、誰しもが身につけて成長してほしいと切に願います。
と言う自分もまだまだ人のお役にたてているとは思えませんが、どんな形であっても誰かのためになっていく人生をそれぞれが創造していってほしいと考えています。

春になる

2019.2.21

 学生時代に下宿生活をしている私の友達をよく招いて母はご飯をごちそうしていました。友達が「働くようになったら何かお返ししたいです」と心から感謝の思いを伝えてくれました。でも母の口から出た言葉は「お返しはあなたのそばにいる人たちで困っている人にしてあげれることをしてあげて。」というものでした。
 それを話すとわかってくれる方々もいます。日本人の根底にある考え方なのでしょうか?でも、今は出したお金の分はいただく。それ以上のサービスを期待する。
労力に見合ったものを要求する傾向にあるなあとさみしい感じます。
 目の前の方を助けてあげたお返しは無償でいい。助けられた思いをほかの方々へつなげていくこと。日本人の考え方の良い所として伝えていきたいと思います。

灰色からの手紙

2019.2.6

 “灰色からの手紙”という絵の具のセットを既成のもので済ませるか、あるものと手作りのものでそろえるか?を考えるエッセイが載ってました。私は小学校の習字の道具を思い出しました。私の時代はそんなにセットとして数多く既製品があったわけではありませんがクラスの半分くらいは既製品のセットでした。私は叔父たちが使った硯のお古と家にあったカバン。さすがに筆は買ってもらいました。その中で硯の袋を汚れてもいいように使い古したタオルで袋を母が手作りしてくれていました。もしかすると見た目はみすぼらしく見えたかもしれませんが私にとってはとても嬉しい、母の心使いでした。みんなと一緒じゃなくてもいい。誰かのおさがりでもいい。そこに見た目だけではない思いを認められるようになっていたいと思います。
 今は作るよりも安くて便利なものがあふれています。時間をかけるよりもお金で解決できるほうを選んでしまう空気があるように思えます。その中で、教育、子育てだけは手をかけ、時間をかけることを惜しんではいけないと思います。コンビニですぐに手に入る卵焼き。少し焦げ目のついた不格好なお母さん手作りの卵焼き。心と体が豊かに育つのはどちらでしょう?忙しい時に何度かコンビニ弁当、カップ麺に頼ってもいいと思います。ただ、それを習慣にしないように気を付けたいものです。お母さんの手作り卵焼きは幼児期の心も育てます。

庭しんぶん 第一こどものとも社監修2月号のエッセイの感想です。

子どもたちを守る?って

2019.2.5

 悲しいことに虐待で命を失われてしまう子どもたちのニュースが後を絶ちません。
可哀そうを通り越して怒りでいっぱいになるような周りの対応。今回の千葉の心愛ちゃん。SOSのサインは十分すぎるほど出ていて、保護もしていて、把握していたにも関わらず、尊い命が失われる事態になっていること。あまりにも子どもたちにかかわる大人たちの認識、知識、思いが足りなさ過ぎると感じてしまいます。脅してくる親の元にいる子がどんなに怖い思いをしているか?脅された教育委員会の方は直にわかったのであればそれだけで保護をする理由になるのではないでしょうか?
 また、DVの方々はそれだけでカウンセリングの必要を覚えます。子どもを保護しただけで、期間を置いて収まったから返すのではなく、親のほうにこそ徹底した治療と指導が必要だと強く感じます。
 その子自身の命、心、情緒が傷つけられることなく成長していくためには、大人の私たちが考え、備えていかなければならないことは多くありますが、行政の規則や様々な壁を乗り越えて守っていくことはできないのでしょうか?本当に心から切に願います。家族に虐待される苦しいつらい日々を過ごしている子たちが今日もいることを覚えつつ・・・失われる命がなくなるように!

できないことは悪いこと?

2019.1.30

 先日、今年度の新入社員の研修がありました。1年目なので、失敗することやできないこと、うまくいかないことがたくさんあるけれど、そのことで自分がすべて否定されているわけではない。それぞれできないところはありますが、それぞれのできるところで補い合い、認めていけるというようなアドバイスをしました。その後出されたレポートに「今までできないことは悪いことだと思っていた。」という方がいました。それを見て驚きました。できないことを悪いこととしてとらえていくとき、それぞれはどう自信をつけるのでしょう?できないことをできるように努力することは大事ですが、どんなに努力してもできないことがあります。また、できないことでその痛みや歯がゆさ、相手の痛みを理解することもできます。お互いを支え合うことも自分のできないところ、相手のできないところを知っていくことでできていくのではないでしょうか?

かくれんぼ

2019.1.23

 「もーいーかーい」「まあだだよー」「もーいーかーい」「もーいーよー」
 満3歳児のかくれんぼ。まだまだルールが理解できない、ルールがあることさえもわからない。自分のやりたいこと、自分が良いと思えればそれでいいと考えている幼児に、鬼の意味、隠れること、見つかったら次に鬼になることなどは何度も同じように遊びながら、覚えていくことです。最初は「もーいいかい」の答えに「もーいいかーい」と返し。かわいいのは自分が目をつぶったら見えないので、そのまま自分が隠れられていると信じ目をつぶり、じっとしゃがんでいる子。とても愛らしく、見つけてもそのまま見続けていたいと思うほど。子どもたちが遊びの中でまず、ルールを覚える前に友達や先生たちと楽しく遊びこみ、見よう見まねで覚えていく所、自分たちなりに約束を作って遊び、理解できるようになっていく中でルールがあった方が楽しく遊べることを学んでいく。また、楽しく遊べるためにどうすれば良いか友達の間で約束事を作っていくことの経験がとても大切です。子どもたちが想像を膨らませ、遊びを自分たちで展開させていくことが幼児期にはとても重要です。そしてそれが一番楽しい遊びにもなります。

キリスト教保育

2019.1.22

 「ここでこの本読んでいい?この絵本大好きなんだ」と年長のIちゃんが職員室に来て、
ソファーに座りました。たどたどしく声を出して読んでいる絵本は「十字架への道」です。
聖書に書かれているイエスキリストの十字架の場面の絵本でした。絵本とはいっても内容は幼児期の子には難しいものです。「どうしてイエス様は死んだの?」と聞くIちゃん。「みんなの罪のために十字架にかかられたんだよ。でも死んだままではなくよみがえられたんだよ」
 罪、死、よみがえり。どの言葉も幼児には難しくすぐには理解できないものです。でもその子の「この絵本好きなの」と持ってきた背景には絵本の正確な内容というよりも、いつも聞いているイエス様のお話。そこには愛があふれ、暖かな空気を感じている。当園は祈りで始まり祈りで終わります。自分の力以外に支えてくれるものがあることを感性でとらえていく中、内容はわからなくても、心には落ち着くところがあるのだと感じます。
 幼児教育は何かを教え込んだり、何かができるまで訓練することよりも、自分が受け止め支えられている。失敗してもできないことがあっても存在していていい。その子自身の存在が尊いのだということを心と体でしっかり感じ取っていくことが大事で
す。キリスト教保育はまさにその一人ひとりの存在を認めていく保育です。

月別アーカイブ